アーバンデータチャレンジ2023 銅賞&学生奨励賞 W受賞

2024年3月9日に東京大学駒場キャンパスで実施されたアーバンデータチャレンジ2023 with 土木学会インフラデータチャレンジ 2023 ファイナルで銅賞および学生奨励賞を受賞することができました。応援ありがとうございました。当日発表したプレゼン資料はこちらから閲覧できます(PDFファイル)。

埼玉県では、おもに江戸時代中期以降に石橋供養塔が建立されました。石橋供養塔には通行人の安全祈願や退役した橋の供養など様々な意味が込められているほか、建立にあたって寄付した人名や助力した村名などが刻まれています。

しかし、これらは建立されてから250年以上経過しているため、その間の都市開発によって元の場所から移動している例が多く、ほとんどの石橋は既に取り壊されており、石橋供養塔だけが残存している状態です。そのため、地元住民は供養塔の存在は認識していますが、本来の意味まで把握していることは少ないです。

本作品は、埼玉県で最も多く現存している坂戸市の石橋供養塔を対象とし、風化によって判読できない文字の復元や古地図や空中写真を用いて石橋供養塔が建立された時代の交通環境の復元することを行いました。取得した石橋供養塔の情報は3Dデータとして、誰でも自由にダウンロードすることができます。

作品の説明資料(youtube)

対象地域

埼玉県は全国的にみても、石橋供養塔が多く現存しています。

埼玉県の地図をみると、山間部の秩父地方には全く石橋供養塔は存在していません。現存している中でも、旧入間郡の基数が多く、埼玉県全体284基のうちの約30%を占めています。その中でも坂戸市と所沢市に最も多く現存しています。

坂戸市に現存する石橋供養塔 は全16基になります。市中心部の市街地より、郊外の住宅地や農作地周辺に分布しています。

刻まれた文字の判読方法

石橋供養塔の文字の判読の方法について紹介します。

従来の方法
紙と墨を使用して、文字を写し取る方法
・片栗粉などを文字の穴に埋めて、白く浮かび上がらせる方法

 → 一時的にも対象物に接触するため、破損に影響を及ぼしてしまう可能性
   そのため、石橋供養塔を3D化を行い、非接触で判読作業を実施

新しい方法
・iPhoneLiDAR機能を用いて対象物の3D化し、文字を読み取る方法

 → 現場で対象物を3D化ができ確認ができる非常に便利な方法
   しかし、判読に必要な文字の細かい凹凸までの解像度がない

 

  本作品では、上記の方法とは異なる

SfM-MVS解析による石橋供養塔の3D化

を実施  

SfM-MVS解析による石橋供養塔の3D化

データ取得には、デジタルカメラ(NIikon:COOLPIX A)を使用しました。

デジタルカメラはズームを使わず(焦点距離を固定)、あらゆる角度から数百枚の撮影を実施します。その際、光の当て方やカメラの向き、さらに死角を作らないなど、撮影の質を向上させる工夫を行いました。

その後、画像データをもとにSfMソフトウェア(Metashape)を用いて3Dデータを作成し、不明瞭な文字をQGISの機能(陰影図、勾配図など)で判読しました。

事例1:坂戸市北峰(坂戸市指定文化財)

坂戸市北峰にある石橋供養塔は、唯一動かされていない供養塔です。坂戸市の文化財に指定されており、地域住民による除草作業など手入れが定期的に行われています。

この供養塔には、1755年(宝暦5年)に周辺地域の50近くの村々の助力によって建立されたことが刻まれています。助力した村の多さなどから、この石橋は地域にとって重要な橋であると考えられます。

この付近には、日光脇往還という江戸時代における重要な街道が位置していました。日光脇往還は、八王子千人同心が日光勤番という東照宮の日の番を勤める際の八王子から日光までを結んだ総距離156kmの街道になります。

坂戸は最初の宿泊地があったことから、この地域一帯が栄えていたことから、交通量も多かったと考えられます。

このような供養塔は、江戸時代の交通環境を読み解くうえで、貴重な交通史料になります。

詳細は「作品の説明資料」をご覧ください。

事例2:坂戸市東和田

東和田の石橋供養塔は高さが約2mで他の供養塔に比べ、かなり大きい塔に分類できます。また、埼玉県に現存する供養の中でも、最も特異な形態をしています。

この供養塔は、文献調査でも判読できない文字が複数ありました。

判読できない文字の例(□:判読不明)

左側面
 享保 □ □ 願主 助力當村中深了合力 四月十四日 善入
裏側
 □ □ 建中宿 導師吉祥寺七世能喜敬白 □ □ 善兵衛
3D解析によって解析例(□:判読不明)

左側面
 享保 □ □ 願主 助力當村中深了合力 四月十四日 善入
裏側
 □ □ 建中宿 導師吉祥寺七世能喜敬白 田中善兵衛

今回の解析から「田中」という文字が判明し、「田中善兵衛」が建立に関わっていることが明らかになりました。

田中善兵衛は、東和田に建立されている他の供養塔にも名が彫られていることから、この地域の名主ではないかと考えられます。

詳細は「作品の説明資料」をご覧ください。

 

また、地域住民にヒアリングした結果、住民でもこの塔の意味合いなどを知らいないという回答が得られました。立派な石造だから壊さないように、多少の手入れをしていたとのことで、関心があまり高くないことがうかがえます。

石橋供養塔マップ

埼玉県坂戸市の石橋供養塔の分布を地理院地図(運営:国土地理院)をベースに公開しています。マップでは、背景地図を明治初期に作成された迅速測図原図や大正・昭和に整備された地形図および1960年代の空中写真といった過去の地理空間情報を用いて閲覧することも可能です。

また、取得した石橋供養塔のマップ上で自由に閲覧できます。さらに、3Dデータは誰でも自由にダウンロードし、利用することができます

チーム名:石橋を叩いて渡る(日本大学経済学部 田中圭ゼミ)
 2年:八木澤藍生・田中詩乃、3年:蛭沼祐貴・梅津高龍